2011年12月26日月曜日

元気・謙虚・素直

小学校6年生を対象にした、体験練習会が始まりました。
東京武蔵野シニアが楽しみに待っているのは、「野球のうまい子」ではありません。

「野球が大好きな子」「元気で、謙虚で、素直な子」です。
いま自分はそうじゃないな、と思う子でも、変わりたい!なら歓迎です。
いまの技量や体格は関係ありません。
真っ直ぐな眼差しで、日本一の山を登りましょう。

2011年12月21日水曜日

監督の責任

すでに書いたように、私(監督)は打者にいちいち指示をしません、捕手に一球一球サインを送りもしません。選手起用はしますが、監督の采配で勝負をものにしようとする意識は低い、そういう戦い方です。
責任を取りたくないからではありません。
「勝負は、戦う前についている」 これが私たちの基本です。
最高顧問である武術家・宇城憲治先生からは、はっきりとこう言われています。
「試合で負けるのは99パーセント、監督の責任だ」
選手も、父母も、スタッフも、これを知っています。
細かな指示をするかしないかにかかわらず、勝敗の責任は99パーセント、監督にあるのです。
そう指導を受けて、最初は意味がよくわかりませんでした。エラーをした、気の抜けたプレーをした、チャンスで打てなかった…… 選手たちのせいにする自分がいたのは確かです。秋季大会に敗れたとき、
「勝敗の責任は100パーセント、監督にある」
改めて指導を受けて、ようやく目が覚めました。その意味が、入り口だけですが、わかりました。
東京武蔵野シニアはそういう姿勢で取り組んでいるチームです。

バッテリーへのサイン

高校野球では、勝つために(捕手を育てるために?)一球一球、ベンチから次に投げる球を指示する監督が少なくないようです。要するに、監督が捕手に代わってサインを出しているのです。捕手は投手にボールを投げ返したあと必ずベンチを見て、監督が送ってくるサインを投手に伝える。捕手の意志や感性はそこに入る余地がありません。シニアでもベンチから投球のサインを出しているチームがあります。正直、ちょっと驚きました。
東京武蔵野シニアでは、そのような指示は一切しません。
「なぜこの場面でそこに投げるかなあ」「なぜその球を投げさせるんだ?」
不用意なサインで痛打され、びっくりする、ガッカリすることもしばしばです。けれど、それが勉強です。経験です。痛い思いをして覚える。感じる。そのための試合です。足りないところは練習で積み重ねる。試合で失敗したらまた覚える、練習する。それに、意外に大胆なサインで投手の可能性を引き出す場合もあるのです。もし自分なら、そこまで思い切った勝負はできないなあと目を丸くすることも起こるのです。
そのように言えるのは東京武蔵野シニアがまだ大会に出始めたばかりで勝利の十字架を背負っていないからだ、と指摘されるかもしれません。どうしても勝たなければいけない、という思いより、選手を育てる思いの方が強い。これはしかし、これからもずっと変わりない東京武蔵野シニアの姿勢です。

打者へのサイン

高校野球を見ていて、ずっと不思議に思っていたことがあります。なぜ打者は一球一球ベンチを振り返って監督の顔を見るのだろう。走者がいるときはまだわかりますが、走者がいなくても見る選手が多い。この習性は少年野球にも伝わっていました。シニア(中学硬式野球)でも同様です。監督がそのように求める、あるいは、選手がそうやって自分を振り向けば内心うれしい監督が多いからでしょうか。
私は違います。打席に立ったら、打者は勝負。戦闘モードで、勝負に向かうのが基本です。走者もいないのにベンチを振り返る打者がいたらがっかりします。「何を振り返っているんだ、何も出ないよ」そう言います。打者の集中を妨げたら申し訳ない。打者に逃げ道を作ってもいけない。投球の合間に、ベンチとつながり、自分の心の熱を高めるためにさりげなくベンチを振り返る選手にはもちろん熱い眼差しやうなづきで声援を送ります。
先日も練習試合で、相手打者は必ず、走者がいなくてもベンチを見ていました。しかも監督は、無走者なのにサインを出していました。何度かに一度、打者はセフティバントを試みていました。
東京武蔵野シニアでは、試合の状況を見ながら「足の速い選手はセフティバントも面白いぞ」といった助言はしますが、決断は選手に任せます。決断できない選手には「やれ」と背中を押すときはありますが、一度やってしまえば、あとは自分でできるようになります。選手が「やれる、決まる」と感じて、選手の意志でやらなければそのようなプレーはうまくいかないし、意味もない、やっても面白くありません。
監督がすべてを牛耳り、監督の采配で勝とうとする野球は、東京武蔵野シニアではやりません。

2011年12月13日火曜日

全力疾走

先日の練習試合、当然ですが「全力疾走」を約束してゲームに臨みました。
終盤、ヒットを打って、ゆっくりと一塁に走った選手がいました。すぐにコーチが、そして選手の何人かが僕のところに顔色を変えて飛んで来ました。
「あの選手、だらだら走って行った!」「許せない」というわけです。もちろん私も同じ気持ち。
その選手は、リリーフで登板する予定があったのですが、仕方ありません。すぐに代走を起用し、ベンチに下げました。
戻ってきた彼に「なぜ代えられたかわかるか?」と聞くと、「わかりません」と。
「だったらみんなに聞いてごらん、わかっていないのは自分だけだよ」
みんなで基本に取り組んでいく。それが東京武蔵野シニアです。監督が選手を怒鳴るのでなく、選手同士で指摘し合えるようになってきた。今季の成長がそこにあります。

本質を見抜く眼、先を読む力

人生を歩む上で重要なのは、学校の成績や偏差値の高低よりも、「本質を見抜く眼」を持っていること、「先を読む力があること」、そしてもちろん「理屈抜きの行動力」ではないでしょうか。いま日本で生きていると、どうしても「メディアが醸す空気に影響される」「表面的な輝きに惑わされる」「見栄を捨てきれない」傾向が強くあります。常に自分の足元をしっかり固め、本質を見て瞬時に判断・行動できる。野球を通じてそういう人間になることが、東京武蔵野シニアの目的です。それを日々実践していれば、「先を読む力」が自ずと磨かれる。大好きな野球に取り組んでそのような人間形成ができたら素晴らしいことでしょう。試合の結果以上に、日々の取り組みに大きな希望を感じます。