高校野球を見ていて、ずっと不思議に思っていたことがあります。なぜ打者は一球一球ベンチを振り返って監督の顔を見るのだろう。走者がいるときはまだわかりますが、走者がいなくても見る選手が多い。この習性は少年野球にも伝わっていました。シニア(中学硬式野球)でも同様です。監督がそのように求める、あるいは、選手がそうやって自分を振り向けば内心うれしい監督が多いからでしょうか。
私は違います。打席に立ったら、打者は勝負。戦闘モードで、勝負に向かうのが基本です。走者もいないのにベンチを振り返る打者がいたらがっかりします。「何を振り返っているんだ、何も出ないよ」そう言います。打者の集中を妨げたら申し訳ない。打者に逃げ道を作ってもいけない。投球の合間に、ベンチとつながり、自分の心の熱を高めるためにさりげなくベンチを振り返る選手にはもちろん熱い眼差しやうなづきで声援を送ります。
先日も練習試合で、相手打者は必ず、走者がいなくてもベンチを見ていました。しかも監督は、無走者なのにサインを出していました。何度かに一度、打者はセフティバントを試みていました。
東京武蔵野シニアでは、試合の状況を見ながら「足の速い選手はセフティバントも面白いぞ」といった助言はしますが、決断は選手に任せます。決断できない選手には「やれ」と背中を押すときはありますが、一度やってしまえば、あとは自分でできるようになります。選手が「やれる、決まる」と感じて、選手の意志でやらなければそのようなプレーはうまくいかないし、意味もない、やっても面白くありません。
監督がすべてを牛耳り、監督の采配で勝とうとする野球は、東京武蔵野シニアではやりません。
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