2013年1月18日金曜日

言葉の暴力・本来の厳しさ

身体的な暴力だけでなく、言葉による叱責や心理的圧迫も近年では暴力と同等に認識されています。
大会に出始めた最初のシーズン(一昨年)、私はしばしば怒鳴っていました。当時は、「チームの志気が上がらないときは怒鳴ることも必要」「何が足りないか明確に教えるため、ミスが出た直後に厳しく指摘すべし」と考えていたように思います。試合になれば監督のテンションも上がるので、自然と、怒鳴る回路のスイッチが入りやすかった。「怒鳴れば何かが変わる」と期待していたのも事実でしょう。ところが、怒鳴っても前向きな進展や変化はほとんど生まれませんでした。チームには暗い影が残ります。結局、ミスの原因を補う具体的な指導をする以外に方法はない。そのため、根本的に闘う姿勢を普段から築き上げるしかないと気がつきました。ごく稀な例を除いて、怒鳴っても意味はないのです。

怒鳴るのは結局、自分の指導力不足を認めず、選手に責任転嫁する行為です。
選手がだらだらしているのは、監督の気迫や回転数が足りないからです。
自分の力不足を直視せず、選手のせいにして怒鳴るのは、指導者の驕りです。
チームの最高顧問・宇城憲治先生から、「負けるのは100%監督のせいだ」と指摘され、目が醒めました。

常に率直な意見をしてくれる事務局長からも厳しい指摘を受け、私は「怒鳴らない」と決めました。
「監督には、怒鳴る自由が与えられているのではない」「怒鳴る前にすることがある」
監督に怒鳴る権利があると思い込んでいるのは、監督の勝手な思い上がりです。
けれど昨シーズンは、何度か怒鳴ってしまいました。怒鳴ったあと、自分を正当化する自問自答も重ねました。けれど、やはり違いました。
怒鳴ったあと、私は選手に謝り、選手は私を許してくれました。

東京武蔵野シニアは、言葉の暴力も徹底して戒め、指導者の驕りを認めない姿勢を明確にしています。
厳しさは、監督やコーチの怒鳴り声にあるのでなく、自分との戦いそのものにあるのです。
私たちは本来の厳しさから決して目を背けません。
「自分を変える」「未熟な自分を鍛えていく」「ハラを決めて勝負に立ち向かう」
自分との戦いは厳しいから、みんなで支え合い、励まし合って目標に向かうのです。

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